パリでセシル・エ・ジャンヌに出会い、ブランドへの想いが強くなるばかりだけれど人脈やコネクションもない。あるのは「セシルを知ってもらいたい」という勢いだけで乗り込んだパリでのエピソードについてお話したいと思います。

思い立ったら即パリへ!


そんなわけで「思い立ったら即行動、やらないよりやって後悔するべし!」がモットーである私はすぐに、セシル・エ・ジャンヌのHPの問い合わせメールに連絡をしてみました。取引を依頼するような形式的な文章ではなく、私がブランドと出会った経緯、日本で広めたいという熱い気持ちを思い入れたっぷりに書いて送ったところ、なんと、なんとなんと返事が来たのです!(涙) 季節は春、思い立ったら吉日、これはすぐにでもパリに行くしかない、とアポイントを取りつけ、新緑のパリへと飛立ちました。

初めてのジャンヌ・初めてのオフィス


商談はパリ市内リヨン駅近くのアトリエ兼ショップ(通称La voute)の2階。初めて会うデザイナー兼経営責任者のジャンヌは長身でスタイリッシュ。「パリジェンヌとはこういう人か。」を体現しているかのような女性でした。面談は始まったものの、想像以上に可憐で素敵なジャンヌを目の前にして頭の中は真っ白。緊張MAXで詳細は覚えていないのですが、自己紹介をしながら身振り手振りで「セシル愛」を語り尽した記憶があります。そして、おもむろに取り出したのが、そう、一番初めにパリで買った(前回のコラムでご紹介した)あのネックレスでした。初めてセシルを購入してからもう10年近く月日が流れていました。私は「このネックレスを10年前にフランスで買ってリペアしながら今でも大事に使い続けているの。私は日本一のセシル・エ・ジャンヌのファンだから!」と決めゼリフ。この「水戸黄門の印籠」が効いたようで・・・。

その場で「では、やってみましょう。」とまさに即決。その場で決まるとは思いもよりませんでした。遠い東洋の国からはるばるやって来た、見ず知らずの異国人からほとばしる熱い想い、それがジャンヌの心に響いたのだと思います。天にも昇る心地になったのは一瞬で、アクセサリー販売の経験や実績も全くない私という人間を信じて任せると言ってくれたジャンヌの気持ちを察すると、途中で投げ出すようなことは出来ない、責任感を持って取りかからねば、と身の引き締まる思いに変わりました。

フランス人って・・?


詳細は今後メールで詰めていくことになり、帰国後、数ヶ月はメールのやり取りで契約書の内容を詰めていました。しかし、10月過ぎから先方からの送信が途絶え・・・。その後も一向に連絡が来ず、何度も催促メールをしたのですが返信なし。やはりダメなのか、半ば諦めかけていた翌年の2月、先方からようやく返事が来ました。2013年はマレ地区に出店予定があり、どうやらその準備が忙しく連絡が出来なかったようです。(それならそうとメール一行でもくれればいいのに・・・と内心思いましたが!)

振り返るとこの「フランス人的な時間の感覚」にいかに慣れるか、は今後私の前に立ちはだかることとなる試練のスタートでした。(とは言え私自身は時間にさほど厳格ではありませんが・・・感化された?)そうして、次の春、満を持して再びパリに飛んだのです。

 

次の回では、何故か友人3人とパリへ乗り込んだ珍道中の幕開けです、次回をお楽しみに!

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