前回は、私のこれまでの経歴や仕事観、ヨーロッパ文化との出会いなどについてお話しました。今回は、ヨーロッパ旅行でたまたま訪れたパリでのセシル・エ・ジャンヌとの出会いについてお話したいと思います。

セシル・エ・ジャンヌとの出会い


そんなわけで初めて訪れたパリは、全てが華やかで美しく新鮮でした。オペラ座にシャンゼリゼ通り、プランタンにラ=ファイエット、名画の数々に美味しいワイン。まるで宝箱をひっくり返したような、キラキラとしたパリの街並みに胸躍り、ひたすら街を歩いていたのを覚えています。

そんな中、エルメスの本店があるいわゆるブランド通りで有名なサントノレ通りを歩いていたら、たまたま素敵な外観の素敵なアクセサリーショップにひかれるように入っていきました。これが私とセシル・エ・ジャンヌの初めての出会いです。当時は、有名なセレクトショップ「collette」があった、ちょうどサントノレの真ん中あたりの場所にありました。今のサントノレ通り店はブラウン調の落ち着いたシックな外観ですが、当時外観は目の引くような赤だったのを覚えています。

洗練されたデザインに一目惚れ

 


店内にはいわゆるパリを体現したような素敵なデザインの数々。そして何より印象的だったのが、背の高い素敵な金髪の店員さんが、なんともおしゃれにセシルのアクセサリーを重ねづけしていて、”Hello”と低い声で話しかけられたのを覚えています。それまでセシル・エ・ジャンヌというブランドは全く知りませんでした。しかし、その洗練されたデザインに一目で惹かれ、ネックレスとピアスを購入しようと思い、商品を選んでいました。

その時、一台の運転手付きの高級車が止まり、石油王一家が入店してきました。そこで20歳にも満たない女の子が「これとこれ、ください。それから、あれとあれも。」といったように、目の前でアクセサリーを選び始めました。そして私に「ここのアクセサリーはパリに来たら必ず買うの。迷っているならとってもおすすめよ。」と言い、呆然としていたのを覚えています。

20年経った今でも愛用しているネックレスとピアス


そして、その当時購入したネックレスとピアスは20年経った今でも大のお気に入りで愛用しています。ピアスは実は壊れてしまったため、前回のパリ出張の時に修理をお願いしたのですが、なんと最終日にピックアップするのを忘れてしまい・・・コロナが明けてパリに行くまでのお預けです(涙)

そんな感じでパリの魅力に惚れ込んでしまった私は、長期休みのたびにパリを訪れては、大好きなセシル・エ・ジャンヌに足を運び、少しずつ買い足していくのが楽しみでした。その当時、日本に実店舗がなかったため、身に付けていると、友人や同僚から「そのアクセサリー、どこのブランド?素敵ね!」と褒められることが多かったです。

長く使い続けられることがセシルの魅力


セシル・エ・ジャンヌのファンでいつも愛用してくださる方を、私たちは敬意をこめて「セシラー」と呼んでいます。セシラーの皆様であればお分かりだと思いますが、セシルのデザインは何十年経っても、流行に流されず、TPOを選ばず身に着けることができるところが大きな魅力です。

初めてのパリから月日も流れ、結婚もして職場も変わり、そんな移りゆく日々の中で、私の中で変わらなかったことは、いつもセシル・エ・ジャンヌをつけていたことかもしれません。自分にとって大切なもの、大好きなものとずっと一緒にいられることは、とても幸せなことなのではと思います。

起業の原点


セシルとの出会いの後、私は仕事を辞め、しばらく専業主婦をしていました。日々何か物足りなさを感じていた時も、大好きなセシルを常に身近に感じていました。そんな生活の中「大好きなものを身に着ける喜びをもっと多くの人に知ってもらいたい。」という思いが強くなり、起業という道へ踏み出すこととなりました。今振り返ると、この思い切った行動もセシルとの出会いがきっかけだったのかもしれません。

次の回では、コネも人脈もなく「セシルを知ってもらいたい」という強い思いだけで、突然セシル・エ・ジャンヌに連絡を取り、日本総代理店を立ち上げるまでのお話をお伝えできればと思います。